弓木あき

Readings|一句鑑賞

花朽ちて枯れずデヴィッド・ボウイの忌

/関灯之介

「花」はいずれ散ってしまう。しかし掲句では「朽ちて」なお「枯れず」とどまる。

語感のうえでは、「枯れる」よりも「朽ちる」の方が生々しく、肉体が徐々に崩れていくかのような強い死の気配がある。その「朽ちて」を花に与えながらも、直後に「枯れず」と否定することで、一句の内に奇妙な逆転が生まれている。「朽ちて枯れず」とは、肉体が崩れ果てても、そこにある種の生命力の残存を認めているかのようだ。この不可思議な導入は、強靭な語を自在に操ってみせた作者のおおきな手柄だろう。

ここで「デヴィッド・ボウイ」という固有名詞と、その忌日が取り合わせられる。わたしたちは掲句を読み解いていくにあたり、当然デヴィッド・ボウイという人物と、その死についていくつかの情報を知る必要がある。

彼は2016年1月10日に病気により亡くなった。しかし、驚くべきことに、彼はその二日前にオリジナルアルバム「★(Blackstar)」をリリースしていたという。しかも、その楽曲群は、彼のロックの集大成というより、ジャズミュージシャンを積極的に起用した、むしろ実験的、先鋭的というべき作だ。一方で、歌詞には死を連想させるフレーズが随所に散りばめられており("Look up here, I’m in heaven"——「Lazarus」など)、セルフ・レクイエム的な印象も与える。いずれにせよ、闘病を続けながら、最後まで創造を止めなかった彼の姿は、まさに「朽ちて枯れず」を体現しているといえよう。

時代ごとにスタイルを変化させ、世界に新たなシーンを生み出してきたデヴィッド・ボウイの死は、「忌」という、死者を悼む日本語の一字に凝結される。「花」はいずれ枯れてしまう。ただし、その「花」のような彼のアイコニックな生き様や作品群は後世へ遺され、なおおおきな影響を与え続ける。

『現代俳句フロンティア U−30俳句アンソロジー』(2026年、細村星一郎編、暁光堂)より。

2026年11月4日 弓木あき