Readings|一句鑑賞
血がすこしつながり芋の煮えてゐる
血縁関係とは、もっぱらそのつながりの有無で言い表されることが多いだろう。しかし掲句では「すこし」と表現してみせた。まるで血縁の濃淡や、親族関係の距離をさぐるような生々しさがある。具体的な続柄ではなく、「すこし」血がつながったとしか言いようのない関係性。血縁は自身では選ぶことのできないものだからこそ、それが「すこし」つながっているという程度の微妙さが、中途半端さが、異様にさえ感じられる。
そして、そこでは「芋」が「煮えてゐる」。芋煮の鍋であろうか。あまりにも生活の具体であり、普遍的であり、劇的な要素などどこにもない。「てゐる」の進行形のアスペクトが、それをじっとりと持続させる。湯気や匂い、人々がともに鍋を囲んでいる時間までをも思わせる。
「つながり」は連用形で、「芋の煮えてゐる」とゆるやかに接続されている。このゆるやかさが、一方では確かに存在し、決して逃れようのない「すこし」の血縁という、居心地の悪さを正確に言い当てているかのようだ。
岩田奎『敵』(2026年、書肆侃侃房)より。
2026年9月15日 弓木あき