Readings|一句鑑賞
をちこちに光逃がして花火かな
「をちこちに光逃がして」という上五中七は、花火がただ光っているというよりも、光が散らばってゆく様子の描写に近い。まるで、花火が抱えていた光を手放しているかのよう。また、動詞「逃がす」には、自由や解放のニュアンスが含まれている。つまり、花火が光を夜空へ解き放つ、という動的な光景として把握されているのだ。
加えて、下五「花火かな」の詠嘆の着地も見事だ。まず夜空に光が放たれる光景を見て、「逃がす」かのように感じ、それが最後に「花火であった」と気づく。こうした発見のプロセスを、読者も追体験することができる。
花火を「光を逃がすもの」として捉え直したところ、そして巧みな構造に、この句の凄みがある。
野口る理『しやりり』(2013年、ふらんす堂)より。
2026年6月10日 弓木あき