弓木あき

Readings|一句鑑賞

愛されずして沖遠く泳ぐなり

/藤田湘子

俳句における抒情、といえば真っ先に思い浮かぶ一句。「愛されずして」という強烈なまでの歌いだしが、「沖遠く泳ぐ」という身体の動きと衝撃され、断定の助動詞「なり」によってちからづよく切れる。

まず注目するべきは「沖遠く泳ぐ」という措辞だろう。ここには「沖遠く」、つまり人のいる岸辺からひたすらに遠ざかってゆく身体がある。目的地などはない。動詞「泳ぐ」のほとばしるまでの活力は、距離的、空間的な隔たりを生み続ける。象徴や観念ではなく、あくまで現実に身体を運び続ける運動だ。そして、やがて溺れてしまうかのような、帰還不能の、仄暗い死の気配さえある。

ここで「愛されずして」と「沖遠く泳ぐ」には、心と身体、内面と行為とのあいだのとてつもなく大きな飛躍があることに目を向けたい。「愛されないから泳ぐ」という因果では結ばれていない。なぜ泳ぐのか、誰に愛されなかったのか。それらは一切語られることはない。しかし、だからこそ「愛されずして」の痛みは観念に終わらない。愛されないことの痛みが、水をかき、岸から遠ざかりつづける身体にあふれるエネルギーとつよく響き合うからだ。そして最後は「泳ぐなり」と断定される。悲しいとも寂しいとも言わず、ただ泳いでいるのだ、と。その潔いまでの断定によって、逆説的に行き場のない抒情が際立っている。

藤田湘子『藤田湘子全句集』(2009年、鷹俳句会編、角川書店)より。

2026年9月11日 弓木あき