Readings|一句鑑賞
みづうみにひかりをゆだね避暑期去る
「避暑期」は晩夏の季語。それが「去る」と擬人化され、主体の位置におかれている。避暑地の夏が終わり、人々が湖畔を去ってゆく景。しかし、それだけでなく、ひとつのおおきな季節、時間そのものが立ち去ってゆくさまを把握している。
掲句の主眼はやはり「ゆだね」という動詞の選択にあるだろう。「映して」や「残して」ではなく、「ゆだね」。連用形で下五へとつらなり、時間の動きをうんでいる。なにかを自分の手から離して、なにかに託す。避暑期、つまり夏はいま季節の流れとともに去ってゆくが、そのまばゆいばかりの「ひかり」は湖面に預けられてゆくかのようだ。
さらに「みづうみ」と「ひかり」、「ゆだね」がともにひらがなにひらかれていることが一句のうつくしさを増している。水面と降り注ぐ光の境界がゆらぎ、溶け合う。そこへ漢字の「避暑期去る」がくることで、後半では一転、時間の終わりがはっきりと告げられる。
人間にとっての避暑期が終わっても、湖と光の世界は続いてゆく。去るものと残されるものとを結ぶ「ゆだね」の一語に、掲句の抒情が宿っている。
飯田龍太『春の道』(1971年、牧羊社)より。
2026年9月7日 弓木あき