Readings|一句鑑賞
皮剝きて梨を透きとほらせること
描かれているのは、梨を剝いたというごく日常的な出来事だ。掲句がひとを惹きつけるのは、描かれた内容以上に、その描き方にひみつがある。
まずは「梨が透き通る」のではなく、「梨を透きとほらせる」という使役の把握だ。「皮剝きて」といえば、当然白く水分を含んだ果肉があらわれるだろう。それを単に「みずみずしい」や「かがやく」と言わず、「透きとほる」ととらえた。さらに使役の助動詞「せる」によって、皮を剝く人の手が、梨を透き通ったもの、つまり魅力的なフィクションの次元へと変化させる主体となる。
また「皮」という歌いだしが、はじめ覆われていた状態を指し示し、その透明への変化をより印象づけていることも見逃せないだろう。
さらに、「こと」という名詞化の終止も重要だ。梨の皮を剝き、透き通らせるという一連の行為を、ひとまとまりの「こと」としてすこし距離をとって見つめなおしている。この対象化によって、ごくありふれた時間が、とくべつなドラマへと変わるのだ。
藤井あかり『封緘』(2015年、文學の森)より。
2026年9月5日 弓木あき