Readings|一句鑑賞
ひあたりの枯れて車をあやつる手
「ひあたりの枯れて」という歌いだしが、開幕からどこか不穏であり、同時にせつなさも生んでいる。そこで「枯れ」ているのは草木ではなく、ひらがなにひらかれた「ひあたり」だ。「翳る」ではない。この異化は、冬へ向かって光そのものが痩せ、衰えてゆくさまをあらわしているのだろうか。乏しくなっていく光は、季節の移ろいだけでなく、そこにいる人の身体の衰えまでかすかに連想させる。
さらに視点は、「車をあやつる手」へと飛躍する。農の手押し車と読んだが、ここで人物そのものではなく、「車」を動かす「手」だけが切り取られる換喩的な把握が印象的だ。「あやつる」という語には、たんに動かす以上の、仕事のうえでの細かな力加減や、身体の端に宿る意志が感じられる。「ひあたり」は枯れてゆく一方で、その「手」はなお「車」を(巧みに)あやつりつづけている。冬の衰えてゆく光と、なお働きつづける身体との取り合わせが、掲句の不穏さやせつなさの所以だろう。
鴇田智哉『凧と円柱』(2014年、ふらんす堂)より。
2026年9月1日 弓木あき