Readings|一句鑑賞
星月夜刺繍の裏を糸奔り
「星月夜」は秋。満天に、こまやかに星々がかがやく夜空だ。そこから、視点は一転して「刺繍の裏」というごく小さな景へと収斂していく。この大小のスケールの照応、取り合わせが句の基底にある。
「刺繍の裏」とは、あの縦横に糸が交差し渡る、雑然とした面だ。表の整った図柄とちがい、ふだんは見せることのない側。そこをあえて取り出し、「奔る」の語を選択したことで、糸の動的な行き交いが詩の領野へと引き上げられた。「奔り」という連用形による未完の着地も、いままさに糸が縫い付けられているような躍動感をうむ(かすかに流星の気配もある)。
この「刺繍の裏」の像は、上五「星月夜」へと見事なまでに響く。人は古来より、夜空にちらばる星々を想像力という見えない糸で結び、天上にあざやかな絵を描いてきた。もしかすると、天の刺繍の裏側にも、混沌とした糸の奔りが隠れているのではないだろうか。
津川絵理子『夜の水平線』(2020年、ふらんす堂)より。
2026年8月30日 弓木あき