弓木あき

Readings|一句鑑賞

だつた手がすみれを撫でまはす他人

/横山航路

「だつた手」という、文法的な欠落を抱えたフレーズからはじまる一句。「〜だった」の手前が切り落とされ、その空所は異常なまでの不穏さを帯びる。たとえば、恋人だった。家族だった。はたまた、自分だった。そこにはあらゆる代入の可能性だけが残される。喪失を喪失と書かず、言語の切断で描いてみせた。

そして、「すみれを撫でまはす」の執拗さ。可憐な花であるすみれに対する、過剰なまでの身体性。衝動であろうか、なにかの確かめであろうか。粘りつくような接触は、句またがり、つまりは切れの遅延によって構造的にも演出されている。

決定的なのは「他人」という結び。「だつた手」をふまえるならば、かつては何らかのかたちで「わたし」につながっていた存在だろう。「他人」という現在の疎遠と、「だつた」という過去の親密と喪失とが最後に響き合う。関係はすでに失われている。しかし、それでもなお、「他人」となったその手の感触は、記憶は、失われない。

横山航路「わすれぐすり」(2026年、京都俳句賞応募作品15)より。

2026年8月29日 弓木あき