Readings|一句鑑賞
汗を飼ふ握りこぶしや飼ひ潰す
「汗」は、ふつうであれば「汗をかく」などと表現されがちだが、掲句では「飼ふ」そして「飼ひ潰す」と把握してみせた。すると汗は、身体から排出されるだけの一過性のものではなく、ある一定の時間をかけ、主体の掌のなかに存在しつづけることを余儀なくされるものとなる。
ここでの眼目は「握りこぶし」という身体の具体と、切れ字「や」だろう。「握りこぶし」は汗を生じさせる場所のひとつであると同時に、そのかたちは汗を内へ内へと閉じ込めてしまう。外気にふれずに、拭われもしない汗。「汗を飼ふ」という大胆な把握は、この具体的な身体のかたちが根拠となっている。
そしておそろしいのが「や」による切れだ。上五中七の「汗を飼ふ握りこぶし」という像をいったんつよく提示してから、暴力的な「飼ひ潰す」があらわれる。しかも、ここで「飼ひ潰す」の目的語は明示されない。その空所には閉じ込められた汗、そして「握りこぶし」という身体、さらには主体そのものが射程に入りうるだろう。
さて「飼ふ」には生かしたまま手元におくといった側面があるのに対し、じっさいは「飼ひ潰す」ことだって同じ主体にできてしまうのである。「握りこぶし」が外側へ力を加えるかたちかつ、内側へも圧迫によりつよい力をあたえるかたちであることと同様に。
髙田祥聖「素足の夕」(角川『俳句』2026年9月号)より。
2026年8月28日 弓木あき