弓木あき

Readings|一句鑑賞

比喩に飽きここにゆらせばゆれるゼリー

/くどうれいん

軽やかでユーモラス、かつ自己言及性のある一句。

比喩とは詩歌の常套だろう。なぞらえる、見立てる。その果てしない比喩の営みに、「わたし」はふと飽きてしまった。しかも俳句という、まさに見立てや比喩のゆたかさに育まれてきた詩型のなかで。もっといえば、これは詩的な言語活動そのものへの倦怠でもあるだろう。その方法に「飽き」た、といきなり宣言する上五には、俳句形式や言語を用いた詩的営みへの小さな反逆心が隠れている。いや、反逆というより「飽きちゃった」とニヤリと肩をすくめる様子だろうか。

そして続くのは「ここにゆらせばゆれるゼリー」という中七下五のフレーズ。この「ゼリー」は比喩ではなく、「ゆらせばゆれる」実体として、いま「ここに」ある。このゼリーは当然「ゆらせばゆれる」。それ以上でもそれ以下でもない。しかし、比喩に飽きたあとの視界には、その当たり前の即物性こそ新鮮に映る。

そうして、比喩という、あるものを別のものでたとえる言語システムに飽きたとき、「わたし」はただ「ゆらせばゆれる」ものへと手を伸ばした。そしてこの「ゼリー」は、象徴にも見立てにもならず、ただそこで「わたし」の思うがままに揺れている。ぷるんとした、たよりない手ざわりは、「ゆ」のやわらかな反復と「ゼリー」の長音によって巧みに再現されている。そう考えると、上五のメタ言語的な宣言もあいまって、掲句はおおいに詩的な身ぶりによって成り立っているといえるだろう。捨てたはずの詩を、実はその手がつかんでしまっていた。こうした自己矛盾を、さらりと涼やかでつかみどころのない季語「ゼリー」にたくしたところに、俳句としての確かさがある。

くどうれいん『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』(2022年、BOOKNERD)より。

2026年7月25日 弓木あき