Readings|一句鑑賞
秋日傘ふにやりと歌ひだすもよし
「秋日傘」は、秋になってもなお照りつける陽光から身を守るための傘。残暑のなか、まだ日傘を手放すことができない。そうした夏の名残と秋のはじまりとが重なるころ、日傘のつくる小さな影の下は、その人だけのささやかなプライベート空間になる。
そんな空間で、ときに「ふにやり」と歌いだす。この「ふにやり」の一語の斡旋が絶妙だ。朗々と歌うのではなく、力の抜けた、しまりのない、けれど心のゆるみから漏れ出るような歌いだし。日傘の影のなかで、ふと緊張がゆるみ、鼻歌ともつかぬものがこぼれる、その心理のほころびを、「ふにやり」がやわらかく捉えている。また、「ふにやり」という表記により、「にやり」というかすかな笑みも感じられる。
「もよし」の結びも効いている。歌いだしてもいい。歌わねばならないという義務感や、歌いたいという強い意志ではなく、そうすることを静かに肯定し、みずからに許している。誰に聞かせるでもなく、日傘の下の私的空間でふにやりと歌う。そうしたささやかな自由を、「もよし」の三音がおおらかに受けとめる。
夏の名残をとどめる強い日差しと、日傘のつくりだす影。その下で、力を抜いてこぼれだす歌声。「ふにやり」の脱力と「もよし」の肯定とが、秋のはじまりのひとりきりのくつろいだこころを照らしている。
俳句雑誌「noi vol.6」(2025年)より。
2026年7月5日 弓木あき