Readings|一句鑑賞
芹つむや光あそべる橋の裏
芹を摘む動作には、春の水際へ身をかがめ、手を伸ばす豊かな身体感覚がある。「芹つむや」と切れたあと、視線はその低さのままに「橋の裏」へと移る。
橋の裏は本来、暗い場所であろう。しかし、ここでは春の水に反射した光が差し込み、そこを「光あそべる」空間へと変えている。「あそべる」という表現は、存続の助動詞の働きにより、光が遊んでいる状態がいままさに持続していることを感じさせる。静かな一条の明るさではなく、水面に揺れながら、ちらちらと橋裏に戯れるような動的な光の姿が見えてくる。
芹を摘むために身を低くしたからこそ、ふだんなら見過ごしてしまう橋の裏の光に気づいた。春は野や空だけにあるのではない。水際、その橋の裏側にまで届いている。そうした日常の発見を、たしかな措辞で結んだ一句だ。
正木浩一『槇』(1989年、ふらんす堂)より。
2026年6月25日 弓木あき