弓木あき

Readings|一句鑑賞

祈つてゐる時間がぼんやりと寒い

/大塚凱

「祈つてゐる」の「てゐる」は、進行・持続のアスペクトを表す。つまり描かれるのは「祈った」時間ではなく、「祈っている」時間なのだ。祈りが終わってから過去を回想しているのではなく、祈りのただなかにある「いま・ここ」の感覚が捉えられている。ここで重要なのは、祈りの内容や成就ではなく、祈りつづけている最中の、出口の見えない暗闇に似た感覚だ。祈りは未来の一点へと向かう行為のはずだが、「てゐる」という持続のアスペクトで示されたことにより、この祈りは目的へ到達することなく、一句の時間の中に永く滞留し続ける。

そして、客体化された主語「時間」を受けるのは、「ぼんやりと」という把握だ。祈っているあいだの意識のにじみや、あるいは救いを信じきれない感覚。輪郭をもつ対象を明晰に描くのではなく、目に見えない「時間」を「ぼんやりと」と捉えることで、祈りという行為のもつある種の不確かさがあらわになる。寒さの所在は身体から離れ、曖昧なまま世界へと拡張される。この感覚のずれが、祈り続けるうちに意識が少しずつ遠のいていく状態をよく表しているのではないか。

また「寒い」の口語終止形が鋭い。言い切ることで、句はそこでぱたりと止まってしまう。詠嘆の切れ字によって劇的に描くのではなく、「寒い」という現在の感覚をそのままに差し出した。祈っている時間がただ寒い。その救われなさ、説明されなさは、平明な口語の終止形によってより一層切実さを増している。

大塚凱『或』(2025年、ふらんす堂)より。

2026年6月20日 弓木あき